スティーブンのブログ

さようなら、築地

10月6日木曜日、最後の鮪の競りを終えた築地市場は、その80年の歴史に幕を閉じた。魚市場は2キロほど離れた豊洲に移転し、10月11日にオープンすることになっている。

築地市場は鮪の競りで世界的に有名だが、それ以外にもユニークな点がある。アクセスの制限された内部の魚市場の周りには場外市場が広がり、そちらは一般の人達も訪れることができる。場外市場にひしめく小さな店や屋台の数は何百にも上るであろう。これらの店は魚市場に集まるバイヤーだけでなく、築地を訪れる観光客や一般の人々を顧客としている。

私は夜明けと共に築地市場まで足を伸ばし、写真を撮り、バラエティーに富んだ朝食を食べるのが好きである。そうやって足繁く通っているうちに私はいくつかの店の常連にまでなっていた。店主たちも、ライカM3カメラを手にして訪れては日本語で話しかけてくるアメリカ人に興味を持ってくれたようだ。そんな風に築地とは私にとっても、多くの人々にとってもかけがえのない場所なのである。

築地に起こっている変革は、企業でも見られる変革と何ら変わりない。それを拒む人もいれば、新しいチャンスにワクワクする人々や、とりあえず様子伺いをしている人々もいる。築地にも変革によって顧客を失うことを恐れて豊洲に移ろうとしない店主たちや、豊洲移転に対する反対運動を起こした人達、店を売り払ってしまった人々もいる。また同時に、豊洲移転をビジネスチャンスと捉えたり、それをきっかけに新しい事業を始めた人々も存在した。変革の捉え方は人によって様々だ、ということだ。

「憧れ」という日本語がある。英語でノスタルジアと訳されることがあるが、憧れには過去への想いというだけではなく、欲しいものとか切望とかいった意味合いもある。それには胸の痛みのようなものさえ感じられる。築地に特別な思い入れのある私のような人間は皆、今、そういった感情を胸にしているようだ。実際、私が築地で話しかけた人々からは、豊洲移転に対する意見には関係なく、憧れという共通の思いが伝わってきた。

組織改革においては、周りからの同意や同一のビジョン、まとまったアクションを求めがちである。しかし、どのような変革が提案されてもそれに対する個人の意見は様々であるし、変革へ適応するペースも全員違うものだ。

しかしながら築地と同じく、「憧れ」という感情は企業変革において共通して見られる。確かに大きなスケールの変革において、全員が同じ意見を持つようなことはあり得ないが、変革に影響される人々は皆、同様の「憧れ」を持つ筈である。例え改革に賛同している人々でも、無くなったものに対する思慕のようなものはいつでもあるものだ。

失ったものに対する心の痛みに気付くことは、それを乗り越えて将来に向かって進んで行くための唯一の方法であり、何ら間違ったことではない。 Click To Tweet

失ったものに対する心の痛みに気付くことは、それを乗り越えて将来に向かって進んで行くための唯一の方法であり、何ら間違ったことではない。しかし、改革を進めるリーダー達は、この「憧れ」という感情を無視してしまいがちである。

築地に思い入れのある人々は皆、憧れという共通の感情を抱いていると思う。私も間違いなくその一人であり、先週の土曜日には、魚市場がまだそこにあるうちに、最後にもう一度この目で見るために築地を訪れてみた。その日の築地はいつも以上に混んでおり、上空にはヘリコプターが飛び、地上ではテレビ局が実況を行っていた。スピーカーでは、魚市場が移った後も場外市場は築地にずっと残るというアナウンスがされ、そこにいる人々に築地を忘れないで欲しいと懇願しているようだった。

この先築地がどうなるのかは、誰にもわからない。日本食のメッカにするとか、魚市場のあった施設を2020年の東京オリンピック用の駐車場にするなどという話もすでに持ち上がっているらしい。何にせよ、時が経たなければわからないことであろう。

とりあえず私は築地に感謝の意を表したい。さようなら、築地。


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