ピケティ騒動

トマ・ピケティ氏はフランスの経済学者かつ著名な知識人ですが、その彼が、つい最近、話題の著書「21世紀の資本」について語るため来日しました。ピケティ氏がアベノミクスの殆どのやり方に賛成していることは有名で、そのため、彼の来日は話題にのぼりました。彼が富の再分配について真剣に語り始めると、物議を醸している彼の研究に関しての様々な意見が飛び交う、というのはこれまでにもよくあったことです。

ピケティ氏の研究は優れたもので、問題視されるような内容をしっかり語っている点も尊敬できます。しかし、いくら大量、詳細な過去のデータであっても、それに基づいて我々人間がなにをすることが可能、あるいは不可能であるかを決めることは、私には受け容れられません。

証拠不十分というのは、欠けていることの証拠、というわけではありません。現在真実と考えられていることは、それが真実ではない、と分かった時点で真実ではなくなるのです。もしこの人間社会と経済が昔と大して変わっていない、というのであれば、いくら過去をさかのぼってデータを見たとしても、将来における改善、変化は不可能ということになります。でも、実際、私たちは変化してきました。変化は直線的に起こることではないかもしれませんが、確かに存在するのです。

主に、人間が経験することを把握するための自然摂理を理解することを目的に開発された科学的手法を他に当てはまる時には、気を付けなければなりません。惑星が自分で軌道を変えることはできませんが、人であれば、異なる円に軌道を移すことができます。過去にそうだからだといって、将来もそのままである、と信じて行動を起こすことは、成長を妨げるやり方です。社会学において自然摂理を定義しようとすることは、慎重に行われるべきです。

人、企業、社会、経済はどれをとっても、過去に考えられた限界を超えて成長、変化する可能性を秘めています。現在、この世界はピケティ氏の運命論など、全然必要としていないと、私は考えます。