スティーブンのブログ

Throw Your Lot in

誰の側に立つか

2011年の3月11日の朝、ネクタイを選んで鏡に映った自分の姿をチェックしてから、家を出て東京に向かいました。その後、私の日常がどれだけ変化するかなど考えることもなく。そしてその数時間後に、あの東日本大震災とそれに続く津波が起こりました。

その時私の妻、息子、妻の母と叔母は一緒に家の中にいました。家は土台から切り離され不安定な状態となりましたが、幸いなことに崩壊はしませんでした。家は海岸沿いにあったので、4人は響き渡る津波警報を聞きながら、避難しました。

最初は車に乗って避難しようとしたのですが、30メートルも行かないところで、道にできた大きな割れ目のせいで進むこともできず、徒歩で避難せざるをえませんでした。高齢の女性二人と私の妻、そして当時まだ4歳だった息子は、避難場所となった地元の学校へと歩いて行きました。

その時私は、そこから70km離れた東京にいました。20階にある私のオフィスでは、横揺れが始まったのがわかりました。地震が起こっても簡単に崩れないように、わざと横揺れするようにデザインされたビルだったのです。ベネチアングラスが大理石の床に落ちて粉々になり、女性が叫ぶ声が鳴り渡り、嘔吐を始めた人もいました。

私が家族にやっと会えたのは、それから二日後のことでした。私たちはみんなで家の損壊状況をチェックしたのですが、その時になって初めて、もう二度とその家に住めない現実を突き付けられました。それでも多くの方々がこの地震によって被った苦難のことを考えると、私たちは幸運だったと思います。

それからはまず東京の親戚が所有する12畳一間のアパートで過ごしましたが、私たち以上に困っている親戚がいたため、私たちは数日後にそこを出なければならなくなりました。そこで私は家族をコロラドにいる妹一家のところに連れて行き、それから一人でまた日本に戻って様々な手続きを済ませました。

私はこの地震が起こる直前に、古くからのクライアントとの大口のビジネス契約を取り付けたばかりでした。この会社は家族経営の製造業で、日本ではよく見られる中堅サイズのビジネスでした。戦後に設立され、日本の経済の急成長と共に成長した会社です。この時は2代目が会社の経営を行っていました。そのビジネス契約の料金は全額前払いしてくれていたので、緊急時の中、現金が手元にあったのは私にとって幸いでした。

地震の数日後、私はこのクライアントに電話をして、私の家が崩壊したことと、プロジェクトを始められる状態ではないことを説明しました。北部にあるクライアントの施設もダメージを受けたため、彼らもまだ私とのプロジェクトを始めることはできないとのこと。そこで私達は1ヶ月後にまた話し合うことで合意しました。

4月末には、家族で住む新しい場所も見つかり、ビジネスも再稼働したので、上記クライアントに連絡したところ、彼は私の声を聞いて大変驚きました。当時、日本のニュースでは、日本に住む外国人が慌てて出国している様子を毎日のように伝えていたからです。それは都合の良い時だけの友達のように日本を見捨てているようにも見えましたが、そんな彼らを責めることはできないでしょう。私のクライアントも、私が同じように契約金を貰うだけもらって、姿をくらましたと思っていたようです。その後5月には私達はそのプロジェクトに着手することができました。

この地震では放射能汚染の恐れもニュースでかなり取り沙汰されたため、アメリカの知人の中には、日本に戻らないよう私に強く言ってきた人々もいました。それでも日本から永遠に離れることなど、私には考えることもできませんでした。日本は私の住まいであり、妻の祖国であり、息子が市民権を持つ国の一つでもあります。日本は私のビジネスのホームベースです。私が最も深いレベルの人間関係を持っている場所も日本です。日本は私が最も愛する国の一つです。

私は日本の人々と運命を共にすることにしました。そうしなければならなかった訳ではありませんし、確かに他のチョイスもありました。それでも日本に残って、困難な状況の中でベストな選択をすることにしたのです。そのような選択自体が日本人の殆どには与えられていないものでした。

そのようなことがあって以来、私はこのクライアントとは、他のどのクライアントよりも多くのビジネスをさせて頂くことができました。この話を聞いた人々からは、このクライアントが私にプロジェクトを任せ続けてくれるのは、私のとった行動が日本のビジネス文化に合っていたからだろうと言われましたが、私は単に正しいことをしただけです。日本の文化とは関係ありません。もし私とクライアントの立場が逆であったら、私がこうしてもらいたい、と考えたことをやったに過ぎません。

海外企業が日本企業と取引することはとても難しい、ということをよく耳にします。その理由は、日本文化を理解し、敬うことが重要であり、また日本人とビジネスを行う際には、ニュアンスや曖昧さを理解しなければならないからだそうです。日本に関するエキスパート達の多くが日本のミステリアスな部分の門番であるかのように振舞っている様子は、まるでスピリチュアルの世界のシャーマンのようでさえあります。

しかし、日本人が特に不可解であるとか、ユニークであるとかいうことはありません。彼らも他の人々と同じで、大切だと考えることも大体同じです。他国の人々と同様に、誤りも犯すし、様々なタイプの人々が存在します。そして多くの人々と似たような行動を取ります。観察のやり方さえわかっていれば、そのことも分かる筈です。

日本の文化の定義を押し付けてくる人がいても、それは無視してよい。 Click To Tweet

いわゆる文化的「真実」などというものは、大体矛盾しているものです。リーダーであろうとも人が、日本文化が意見の一致を重要視するからといって、決定事項があるたびにまず周りからの同意を得る必要があったり、また日本で階級、序列が大切にされているからという理由で、わざわざクリアで細かい命令を下すように期待されていると思っていますか。

日本の文化の傾向に基づいて自分の行動を正当化する人々は、実は自分が勝手な理由でやりたいことを正当化しているに過ぎません。日本文化の一面を切り取って自分の都合の良いように使うことなど、誰にでもできることです。

以前、東京電力の会長をインタビューするイベントに参加したことがあります。東京電力は、あの3月11日の地震と津波によって引き起こされた福島原子力発電所の事故の処理に当たった会社です。彼が東京電力のリーダー達にとっての当時のプライオリティについて長々と楽観的に語る様子は、会社の広報室が書いたものをそのまま読んでいるかのようでした。私から見れば、彼ほど会社のガバナンスについて語るのにふさわしい人はいない筈です。

そこで質疑応答の時間が来た時、私は福島の事故の後、役員達が会社を管理するやり方にどのような変化があったかを聞いてみました。この質問に対し彼はまた東京電力の当時のマネージメントにとってのプライオリティを上げ、ガバナンスについては何も触れませんでした。彼は私からの質問の答えになっているかどうか聞きましたが、ガバナンスについて直接言及することを避けたということで、彼の答えが明確になったと言っても良いでしょう。

そこで私は考えてしまいました。この会長は、私が地震後に行ったように、日本人と共に困難に立ち向かおうと決めたのでしょうか。それとも日本から逃げ出した多くの外国人のように、努力をする程の価値はないと逃避することを選んだのでしょうか。どちらの選択肢も日本的だとか非日本的だとかいう問題のものではなく、人間としてのチョイスだと言えます。

企業の社会的責任が叫ばれるようになるずっと前から、ピーター・ドラッカーはビジネスの目標とは環境に寄与することであると唱えていました。ここで彼のいう環境とは、自然環境のことではなく、社会・経済環境のことを指しています。ビジネスの本質は、何らかのやり方で人々の暮らしを向上させなければなりません。それ以上に重要なことなどないのです。

日本でリーダーとしてビジネスを行い成功したいのであれば、日本や日本文化について書かれているものは多分役には立ちません。とりあえず方策ターゲットやビジネス目標、日本での在職期間、あなたのキャリアの次のステップといったことはちょっと忘れてください。

代わりに、あなたのビジネスがどのように環境の改善に役立つかを考えてください。日本の人々と共に前進するために、あなたは どのようなことをやっていますか。こういった質問は、ずっと基本的なものです。

誰と共に歩むのか、決めて下さい。


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