象徴主義そのものは本質的に悪いものではありません。しかしそれが行動を起こさないことを隠すために使われた場合は、非道徳かつ破壊的な結果をもたらすこととなります。

象徴主義そのものは本質的に悪いものではありません。しかしそれが行動を起こさないことを隠すために使われた場合は、非道徳かつ破壊的な結果をもたらすこととなります。
最近、日本にある有名な米国企業のCEOとランチをご一緒した時に、彼の戦略について聞いてみました。彼は時間をかけて、いかに日本社会やビジネスが多量のデータや自動化を使ったビジネスに移行する必要があるかを説きました。それが時代の流れだから、というのが理由です。確かにそうかもしれません。しかし私は彼が言った内容に戦略というものが全然含まれていないことに気づきました。彼が語っていたのは戦略ではなく、イデオロギーだったのです。
イデオロギーと戦略は別物です。戦略とはビジネスの未来のビジョンのためのものですが、イデオロギーは社会のビジョンのためにあります。自分のビジネスはコントロールが可能ですから、そのビジョンを実現させることも可能です。一方で社会のビジョンとなると、話は違ってきます。
ビジネスにおいてイデオロギーが戦略に取って代わってしまうと、問題が出てきます。その良い例がイーロン・マスクと彼のビジネスに降りかかった問題です。マスク氏は、人間社会は将来こうあるべきだ、という強い信念を持っています。そしてその信念に基づいてビジネスにおける様々な決定が行われているわけですが、実はその結果被害を被っているのは、戦略と彼がビジネスを通して手助けしたいと考えているとされる人々なのです。
私はビジネスを通して世界をより良いものにしようとすることが間違っている、と言っている訳ではありません。アンドリュー・カーネギー氏は、彼のビジネスが作り出した鉄鋼によって高層ビルを可能なものとし、そのおかげで都市開発は様変わりし、米国の成長にも影響を与えることとなりました。ヘンリー・フォード氏は人々にとって車をより身近なものとしてくれました。スティーブ・ジョブ氏は人の生活のモバイル化に貢献しました。しかしこう言ったビジネスはどれも、変わりゆく社会にまず貢献することで成功した訳で、社会の考え方を変えようとした訳ではありません。彼らは社会変革を引き起こすような貢献をしたのです。社会変革そのものを貢献しようとした訳ではありません。
ですから、イデオロギーには注意しましょう。人がイデオロギーについて話しているかどうかを見分けるのは簡単です。将来に対するビジョンは大概説得力がありますし、そのイデオロギーについて、熱く、しかも延々と語ってくれますから。しかしそれはビジネス戦略としては、全然意味をなしません。
どれだけ説得力のあるイデオロギーを持っていても、それは戦略にとって変われるものではない。 Click To Tweetあなたはしっかりした戦略を持っていますか。